この森のど真ん中で野宿するのが、どんなに危険か分かっていないようだ。
木が生えていない小さな空き地のような地形の中央に、蒔きに火をつけ、白煙を吐き出させている。
男は樹齢百年程度の細い木に寄りかかり座っている。何をするでもなく、ただ赤く揺れる炎を見つめているだけだ。
当然だが周りに人気は無い。数歩離れたところに細い街道があり、数日前までは商人や旅人が街道を騒がせていたのに、今では誰も使おうとはしない。
『この森には悪魔が棲みついてる』
とある商人が、どこからか聞き出したと言われているその噂は、たちまち広まり、近くの街で「アトミックユーザー」を雇うということになった。
「あら、久しぶりね。ルクス」
茂みの中から妖艶な女性が現れ、半年振りに会う男に声をかけた。
「……エルザか。どうしたんだい? こんな所で」
ルクスはエルザを見ると、愛想のいい笑みを浮かべた。
「サンザーラの警備会が、アトミックユーザーを雇うって話を聞いてね」
エルザは、この世界では珍しい緑のロングコートを羽織っていた。自分の髪の色と同じ色のものでも欲しかったのだろうか。
「でも、君はアトミックユーザーじゃないだろ?」
「アトミックユーザーじゃなくても平気だったわよ」
細く、蛇のような瞳がルクスを見ていた。綺麗に巻かれた髪といい、エルザは大人びて、そしてとてもキツイ印象だった。
「……そう」
ルクスは笑顔を絶やさず、それ以上は言わなかった。エルザの能力は自らの身をもって体感したことがあるからだ。
「それにしても、あなたそんな薄着の布を羽織っただけで寒くないの?」
「こんな季節にロングコートを着てる君がおかしいんだよ」
「そうかしら? それにその髪。あんなに綺麗な金髪がぼさぼさじゃない。せっかくいい顔してるんだから、もっと身なりはきちんとしなさいよ」
「いいじゃないか、時間がないんだよ」
奇妙な会話を繰り広げているが二人だが、周りに集まり始めている気配に気付いた途端、穏やかな表情を消し、辺りを見回す。
「……ねぇ、ルクス。ここにいる悪魔って何だと思う?」
エルザの質問にルクスは沈黙した。
マイペースに立ち上がり、洋服に付いた葉を落とす。
「そうだね……弱いヤツじゃないことを願おうか」
ルクスとエルザの頭上を黒い小さな飛行体が横切った。十や二十という数ではない。甲高い泣き声をあげながら、二人に襲いかかってきた。
「……煩いわよ! あんた等!!」
エルザは手を標的にかざす。そして一言呪文のような言葉を放つと、全ての飛行物体の体に火がつき、灰になった。
長いウェーブのかかった髪を整えてると、後ろから拍手の音が聞こえた。
「さすがだね、エルザの力は」
「ちょっと! 見てないで手伝ったら?」
「はいはい」
軽くあしらうルクスに、エルザはむくれた表情を見せる。もちろん、この行動がルクスに罪悪感を持たせるわけがなかった。
――我ノ領域ヲ侵ス者ハ誰ゾ――
何処からともなく、しわがれた声が聞こえる。実に耳障りだ。
「悪魔のお出ましか……」
ルクスは周囲を軽く見回した。それらしき存在はいない。
激しい殺気が周囲に蠢く。標的は近い。
「……そこか」
細身の体が後ろに振り向く。砂漠を通る時に砂避けとして着ていたボロ布を放り投げた。布の下には国際軍事組織クラシカルマインドの大佐専用軍服を着ていた。
「あなた、まだそんなの着てるの!? 軍人に間違われるわよ」
「いいじゃないか。この服は俺のお気に入りなんだ」
――クラシカルマインドー……我ガ部族ヲ滅ボシタ……忌々シキヤ……――
木々が葉と葉と激しく揺らす。風も強くなってきた。
「まいったな……これは計算外だった」
「ルクス……」
空を見上げて笑い飛ばすルクス。激しく呆れるエルザ。しかし、二人に焦りの色はない。むしろ楽しんでいるようにも見える。
――忌々シヤ、忌々シヤ……――
両目は白髪で、口は髭によって隠れていた。白いマントを羽織って、霧のように二人の前に現れた。見た目は老人。
「やつが魔物の正体か……」
「結構弱そうね」
「どうやら大気や樹木を操るようだけど……」
「全部燃やせばいいのよ」
容赦ない言葉を発するエルザを無視して、ルクスは一人解析する。
ざわめいていた木々が一瞬静まったと思いきや、枝や蔓をしならせ襲いかかってきた。
しかし二人も負けてはいない。エルザは得意の炎の玉をあたりに蒔き散らかし、焼いて消滅させる。ルクスは尋常ではない速度で一本ずつかわしていく。
「ちょっと! ルクスも攻撃してよ!!」
蔓が三方向から迫ってきた。ルクスは避けようとしたが止めた。一本の蔓がルクスの心臓に刺さる。
「ルクス!」
「……仕方ないなぁ」
蔓を引きちぎり胸から抜く。心臓を貫通したはずなのに、ルクスは痛みすら感じることなく魔物を睨みつける。
「……忘れてたわ、あんたが不老不死だってこと」
ゆっくり魔物に近づく。一歩、一歩。
徐々に傷口も塞がり、ついには完全に元通りになってしまった。
――主、マサカ覇王ノ書ヲ――
「……あぁ、読んだよ。あれは悪魔の本だった。俺自身生きて帰ってこれたのが不思議なくらいさ」
歩くたびに目に軽くかかる程度の前髪が揺れる。その奥に隠された瞳は鋭い眼光をほとばしっていた。
「そろそろ夜も明けるし……さっさと終わらせようか」
気付いたらルクスは魔物の正面に立っていた。
ゆっくりと、右手が老人の胸元まで移動する。
――樹族モココマデカ……――
人差し指が樹族の長の心臓を示した瞬間、長は光分子単位までに破裂した。
……後に残ったのは、無数の光と二人の男女だった。
「……あーあ、報酬ルクスに取られちゃった」
不満げにブーツのつま先で地面をつつく。
ルクスがエルザの方に振り向く。その表情は、既にいつもの絶えない笑みに変わっていた。
「……じゃあ、その報酬で新しい服でも買ってあげようか」
エルザはこの上ない喜びをルクスに送る。
「ホント!! でも珍しいわね、ルクスがあたしにプレゼントだなんて」
「たまには恋人に何か奉仕しなければと思ってね」
「まぁ、嬉しい。あたしこの前、プラマリーゼ通りでいい服見つけたの。それ買ってちょーだい」
「プラマリーゼはハルベルタウンか……。ちょっと遠いよ?」
「構わないわ。ルクスと一緒にいられるんですもの」
「……そうだね。じゃあサンザーラへ戻ろうか」
森を抜けるとそこは荒野で、北の地平線から煌々とする炎の星が昇ってきた。うっそうと茂る小さな森は、この世界で最後の樹木が集まる場所だった。
「……森の魔物は樹族の長だったなんて知ったら、村人はどう反応するかな。これでもうこの世界に木が生えることはない……」
罪悪感を塵ほどにも持たないルクスにとって、この世界の行方なんてどうでもよかった……。